順風満帆とはこのこと、と言わんばかりに最近幸せです。
そして、自分の変化がありありと感じられます。
今まで、バイト一筋と言わんばかりの入れ込みようでした。バイトの人数が少ない、帰省時期、私はそんな時どんな予定も犠牲にできる限り犠牲にして、バイトをしていました。店長が大好きで、彼の役に立ちたかったからです。ですが、今ではそんなことはしなくなりました。そもそも店長が変わったからなのかもしれませんが、それでも私は自分のプライベートよりもバイトを優先していました。でもここ最近は「風邪をひいて喉を潰してしまった。ある程度声が出るし、体は元気。だけど本番もあるし歌のために休ませてもらえませんか」やら「レッスンがあるので休んでも?遅くなってもいいですか?」と店に電話をするようになりました。
前の私ではあり得なかったことです。
「私は歌を全てにおいて最優先する」ようになったのです。
それは大好きな前店長が言った言葉が大きく関係していると思います。
「兄貴として、言うぞ。本当なら、お前にはバイトなんかしてないで、辞めて、レッスンだけやってろと言いたい。でも実際お金は必要になる。ましてやレッスン料つくってるんやから。それでも、何よりも歌だけやれ。歌を全力でやれ。失敗したら、泣きついて来い。笑ったる。ほんで、絶対助けたる。その時は俺のとこ来い」
絶対的な信頼と尊敬をおく人からこう言われても、その時は理解したようにしていても、まだバイト先を気にかけて生活していました。
ですが、ここ最近変化がありました。
確実に歌が上達している。そう自覚し、先生も同様のことを仰いました。そこからは、本当に歌を最優先にするようになりました。
もちろん店のことも大好きなままです。でも今は本当に以前のようにバイト最優先ではありません。

歌中心の生活。そうなって、自覚してから、本当に毎日輝かしいです。
ただ、先日中学の部活動の同期会をした時、「みんな変わってない」と思いましたが、確実にみんな大人に向かっていると感じ、一方で自分はいつまでもガキだなとも思いました。
単純に自分以外が「明日があるから」と言い二次会に至らなかった中で、自分は「ぜんぜん遊べる!え!?明日の予定!?あるけど遊ぼうよ!」と一人はしゃいでいただけなんですが。
社会人になる人ももういます。学校があれば勉強が忙しい、自身の活動が忙しいといった感じです。
一方、レッスンに行っているとはいえ、先生とお茶したり、遊んでばかりの自分は社会からみれば、遊んで暮らすフリーターとみられることも有るのだと思いました。
それでも成長を感じるし充実した毎日を送っているわけですが、少しだけ、自分一人違う船に乗ったのかなとさみしくなりました。
同じ川からでてきたのに、海が近づくにつれてはなれたりして、声は聞こえるけど少し飛び移れはしない感じです。
それでも毎日幸せです。
たくさんの素晴らしい人に出会い、変わったから。

きっと大好きな店長が移動になったのは、そのためなのだとおもっています。

例えば社会。周りは楽しそうなのに自分はつまらない。周りは上手くやっているのに、自分だけ損をしている気がする。大体においてそれは環境に問題があるのではなく、自分の考え方に問題がある。世の中に不満があるなら自分を変えればいい。

自分を幸せにできるのは自分しかいない。そう思うと頑張れるし、気持ちが楽になる。いい言葉だ。

人生は選択の連続だとか、すべての事に意味があるとかよく言いますが、本当にその通りで、自分のいままでを振り返るとすべてつながっていたんだと気づきました。
先日大学を退学してきました。あと二年、卒業までありましたが、退学を選択しました。というのも、シンガーという将来の夢をみつけ、それに向かうためには通っていた大学は不要であると判断したからです。
決断までにはたくさんの人と話をして、考えました。それでも、欲しければその分賭けなければ手に入るチャンスにもならないと、人生の賭けをしてみることにしました。
大学を辞めることで、それまでの二年(実質通ったのは一年半)が無駄だったのかと言われれば、決してそうではなく、むしろ、今までの出来事全てがこの決断へと導いていたと思えました。
そもそも、シンガーになりたいと幼い頃の想いを思い出して選択できたのは、先生に出逢ったおかげです。
その先生に出逢えたのも、紹介してもらえたのは、歌を習いたい、習おうと思えたのは自分で自由にできるお金が出来たからで、それはバイトを始めなければありえませんでした。
バイトも、ずっとお小遣いで困ることはなかったし、どちらかといえば知らない人と出会うのが苦手だった私が始められたのは、カナダに滞在し、その時のテンションのままに「バイトをしよう」と決め、行動出来たからです。
そのカナダでの滞在も、充実したものになったのは、留学チームのみんなと家族のような関係が築けたからで、そもそもカナダへのプログラムへの参加を考えられたのは、自分の出身高校が国際交流が盛んで、アメリカに一ヶ月滞在したからです。
そして、そんな高校を卒業し、様々な経験を得られたのも、中3の時、塾から連れて行かれた高校の説明会の会場で、その高校の教師についてブースを訪れ口説かれたから。
そもそも塾にだって…とすべてがつながっていました。
私の出会いも、経験も、全てが過去の選択によって成り立っていました。あの時違う道を選んでいたら?と思うと恐怖さえ感じます。今がとても幸せで、これまでにおこったこと、出会った人たち全てが、とても大切だと思えるからです。

今回の「大学中退」は、はっきり言って今までバカにしていた選択です。いつかの私はそういった選択をする人を非難していました。
けれども、今はそんな自分を恥じてしまうほどです。
この決断は絶対に間違っていないと、私は自信をもてます。「得るものがあるかわりに、失うものもある」と、退学届提出の際に教授に言われたのですが、私はなにを失ったとしても、この決断は間違っていないと思います。ただ、失うことを恐れるとしたら、大学で得た友人たちとの縁です。できれば、失いたくない。
でも、もし失ってしまったとしても、また何処かで出会い、新たな縁を同じ人と結べるのではないかとも思います。

最近はうまく行くこと、行かないことが極端ですが、それも受け入れていくことが大切なのかなぁと思う毎日です。

“どんなショボイ場所に住んでても面白さを発見できる人はいて、それが出来なくて東京行ってる人が面白いわけない、て東京から敢えて地方に出てきてる人が言ってて妙に説得力があった”
Twitter / gensyokuneon (via mcsgsym, jinon)
2008-10-07 (via gkojay) (via fumi-tano) (via carbondoubt) (via misoka) (via ingurimonguri) (via stoneblack)

似たような事をオノナツメさんの漫画でも言ってた。

メールが当たり前になって、今やLINEが主流でメールさえ使わない事もあるけれど、やっぱり手紙が好きです。
手紙は返事がくると嬉しい。ただ、返事を待ちどおしいと期待して待つんじゃなくて、返事はなくてもいいと思いながら待つくらいが丁度いい。
届いた自分宛の封筒をあける楽しみだとか、手書きの文字から伝わる雰囲気だとかが好きです。
だから字をうまく書きたいと思うんです。すごく字が下手なので。
あと、なんて書いたか忘れないようにするのは大切だと思う。自分の言葉に責任を持っているような気がするから。
メールは「見返せばいいや」と思うし、チャットなんか「消せばいいや」になる。そんな軽い言葉は人にかけちゃいけないのに、なんとなくおざなりになってしまいます。
だから、手紙が好きなんです。

まずはパウンドケーキから。

まずはパウンドケーキから。

早いブランチ。遅いブレックファースト。

早いブランチ。遅いブレックファースト。

ふおおおおっ!

ふおおおおっ!

汚部屋脱却すべく、親父の日曜大工の取り外しから敢行中。そしてやっと去年買ったウォルトのフレームを飾れた!

汚部屋脱却すべく、親父の日曜大工の取り外しから敢行中。そしてやっと去年買ったウォルトのフレームを飾れた!

“mixi でも Facebook でも 「いいね!」ボタンの隣に 「(´・ω・`)知らんがな」ボタンが欲しい。”